友人たちの大きなひとり言

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鼻高々

こうへき、です。

 

仕事にかまけて、ブログを疎かにしております。

 

 さて、今日は、ぼくの友人たちの大きなひとり言についてお話をしたいと思います。ぼくの友人には、塾の講師や家庭教師がたくさんいます。特に家庭教師は、これからが、不謹慎な表現かもしれませんが、かき入れ時です。その彼ら、特に、社会や理科が専門の友人たちは、毎年、口をそろえて「これからが、ぼくたちの出番だ」と言います。かき入れ時だから出番だという意味も多少ありますが、理科や社会を専門としている友人たちは、合否のカギを握っているのは、自分たちなんだという自負があるからこのように言うのです。

 どういう意味かお話していきます。受験生たちは志望校に向かって最終調整に入っていきます。志望校に向けて勉強するわけですから、当然のように、それぞれ独自に勉強しなければなりません。そのような時期にくると、どうしても苦手な分野が目に見えてきます。言い換えますと、四科目のどれかという意味もありますが、科目ごとの苦手分野という意味もあります。その苦手な分野が足を引っ張り、点数の伸び悩みにつながるわけです。当たり前のように書いていますが、その苦手な分野を克服することが、子どもたちには大変なのです。つまり、どうやって苦手分野を見つけ、それをクリアするのか分からないからです。

 そこで登場するのが、社会や理科を専門とする家庭教師です。長年やっている講師ならば、受験生がどのように苦戦しているのかすぐ分かります。得意分野をさらに伸ばそうとしても、点数の伸びしろはたかが知れてます。ですが、苦手な科目や単元を克服することができれば、点数はグンと伸びます。だから、友人たちは自分たちの出番とばかりに、鼻を高くして仕事をしているのです。

 家庭教師のかき入れ時は1月いっぱいまで続きます。ぼくも同じです。受験生の不得意な分野を見つけ、志望校を聞き、そこから逆算して苦手な分野を克服していくわけですが、志望校に苦手な分野が出ない場合は、スルーします。入試問題に出る確率が低いにも関わらずムリに指導しては、時間がもったいないからです。勉強しなくていいというわけではもちろんありませんが、家庭教師は時間数が限られています。短期間で成果を出さないといけません。恥ずかしい限りですが、数週間で結果が出せなくてすぐクビになることもあります。さすがにそれはムリでしょ、と思うこともしばしばですが、保護者の方は、焦っているのですからしょうがありません。

 ということで、受験生の場合、これからの勉強は、苦手分野の克服のみです。志望校に出る問題を確認しながら、苦手分野を克服し、ぜひ、得点率を上げて下さい。

今回は、これで失礼致します。

しろばんば

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シイタケ

こうへき、です。

 

 井上靖先生の「しろばんば」を出したS中学の問題に触れたいと思います。「しろばんば」は、ぼくの大好きな作品のうちの一つです。このあと「夏草冬濤」、「北の海」と続く、井上先生の自伝的小説です。いつもは、作者に対して「さん」づけなのに、井上靖さんには先生をつけることをお許し下さい。ぼくにとって彼は憧れの人で、とても「さん」付けする気になれません。はっきり言って、差別ですけど。 

 「しろばんば」は、主に井上先生が伊豆の天城山ろくに住んでいた幼少のころのことを題材にした小説です。初めて読んだのは30年以上前ですが、長編小説なのに、まるで童話を読んでいるようでした。うっとりして読んだ記憶があります。子どもたちの心を、このように透明感を持って描くことの出来る作家に出会えたことは、ぼくにとって幸せでした。井上先生の作品にはまりました。「夏草冬濤」は、沼津にある旧制中学に通っているころの話です。これもおとぎ話のような気持ちにさせられました。「北の海」は、井上先生が旧制高校受験のころの話でした。井上先生のように頭は良くありませんが、青春時代を振り返っているようでした。これまで何回繰り返し読んだか分かりませんが、「北の海」を読み終わると、子どもの頃、夏休みが終わったような気持ちにさせられました。イヤなことがあったときは、「夏草冬濤」から読み始めます。夏休み真っ盛りの気持ちになれるからです。自分の話が長すぎました。すみません。

【あらすじ】

 洪作のところにいとこの唐平がやってきます。二人はあまり顔を合わせることがありません。小学校が違うことと、唐平の父親が気難し屋の校長だからです。唐平は洪作に棚場のじいちゃんのところに行こうと誘います。父親に言われたからでした。二人の父親の父でした。このじいちゃんは、シイタケの栽培の研究に従事していて、シイタケ伝習所を開き近隣の若者にシイタケの栽培を指導したり、書物を出したりしている人で農商務大臣から功労賞をもらうようなじいちゃんでした。唐平は、そこに父親の用事で行く途中でした。洪作は、行くことを渋ります。あまり親しくない唐平と出かけたくないからでした。でも、唐平は、洪作の学校の校長でもある父親が洪作に棚場のじいちゃんのところに行って作文を書くよう伝言されたと言います。洪作はしぶしぶ同行します。掘っ立て小屋のような建物に到着します。じいちゃんは留守でした。二人は小さい建物の縁側に腰を下ろしてじいちゃんを待ちます。洪作は、そんな木々と同じような素朴で孤独な生活をしている祖父に思いを馳せます。唐平は、じいちゃんを探しに行き一緒に戻ってきます。じいちゃんは、孫たちに椎茸飯を食べさせようと台所に行きます。そこに、じいちゃんと同居する若者の粂さんがやってきます。粂さんは二人を椎茸栽培しているところに連れていき、栽培方法を解説します。家に戻るとじいちゃんが待っています。じいちゃんが言います。わしの家は、昔から椎茸作りをしていたらしい。椎茸作りの血が流れているからわしも椎茸を作るようになったんだ。お前たちにもその血が流れているんだよと言います。洪作は、じいちゃんの子どもであるはずの伯父が校長先生になったことを疑問に思い、なぜ伯父ちゃんは校長先生になったのか聞きます。じいちゃんは答えます。仕事は自分の一番好きなものをやればいい。伯父ちゃんは、教育の仕事が一番立派な仕事だと考えたんだ。役場へと止めることが一番立派な仕事だと思ったら役場へ勤めればいい。洪もおなじじゃ、と言います。洪作は、それを聞いて自分は親戚のなかでこの祖父が一番好きだと思った。そしてこの祖父を一番尊敬すると思った

【問題】

 傍線部の「洪作は、それを聞いて自分は親戚のなかでこの祖父が一番好きだと思った。そしてこの祖父を一番尊敬すると思った」とありますが、その理由を説明しなさい。

【解説】

 洪作のおじいちゃんは、シイタケの研究を続けています。農商務大臣から功労賞を取るような立派な人なのですが、自分の考えを息子や孫に押し付けることはありません。自分が好きで選んだ職業を尊重します。素朴な掘っ立て小屋に住んでシイタケの研究に没頭しています。一方で、この物語に出てくる洪作の他の親戚は校長先生や唐平だけです。校長先生は、完全に大人目線で洪作にじいちゃんのところに行き、作文を書くように言いつけます。シイタケ研究の権威になっているにも関わらず素朴な生活を続け、自分の考えを押し付けることなく人々の考えを尊重します。この物語に出てくるじいちゃんは、今でも尊敬されるに違いありませんね。

【解答例】

 シイタケ研究の権威になっているのも関わらず偉ぶることもなく素朴に生き、自分の考えを押し付けることもなく各自の考えを尊重するじいちゃんに対し、洪作は人間的な大きさを感じ好印象を持ったと同時に尊敬の念を抱いたから。

 

井上靖  #しろばんば  #人間的度量  #他人の尊重

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青空

こんな時、だからこそ!

 

こうへき、です。

 

仕事が忙しく、久しぶりに投稿します。

今回、子どもたちを教えて感じることを書きます。コロナ禍の状態が続き、教え子たちに疲れが見えます。昨年から続いているので学校も満足に通えていません。遠足がなくなり、修学旅行がなくなり、運動会がなくなっています。どこかに出かけることも制限されています。もちろん、受験のため思い切ってゲームをすることも出来ません。でも、入試は刻一刻と近づいているので、塾に通うか、オンラインの授業を受け、勉強を続けていかなければなりません。

 負のスパイラルに陥っているのでしょうか。子どもたちに覇気が感じられません。健気に努力していますが、どことなく子どもらしいオーラが感じにくくなっているのは、ぼくだけでしょうか。受験生みんな苦しい状況に置かれているのだろうと思います。

 こんな時、だからこそ、基本です。どうも、昨年から満足に学校に通えてないからか、基本が疎かになっている気がします。学校の授業は、普通に思う以上に大事です。なぜなら、塾でやらない基本的な勉強を丁寧に教えてくれるからです。ところが、その基本的なことさえコロナ禍で満足に出来ていないようで、これは小学校の先生方が悪いわけでなく、授業に割く時間が少ないのだろうと思います。だからといって、塾で改めて基本を集中的にやるカリキュラムは用意されていません。受験も少しずつ近いので、塾では、益々、応用問題に入っていきます。模試が始まっていますが、ぼくの担当の国語を例に挙げますと、漢字や語句、文法などの基本的なことに始まって、読解力がまだついていない受験生がチラホラいます。ヤバいよな、と思いますが、子どもたちを焦らせてはいけないとは思っています。

 こんな時こそ基本に立ち戻ることを保護者の方にお願いしてます。といいますのは、過去問題を解き始めているご家庭が多いですが、点数が取れなくてどうしましょう、ということになっているからです。過去問を解く意味は、志望校の出題パターンに慣れること、出題傾向から自分の苦手分野を見つけ出すこと、実践訓練をすることなどが主です。でも、過去問を解いて点数が取れなくて嘆く前に、基本事項がどれほど出来ていないかを確認しなければなりません。

 先日、こんなことを思っているのは、ぼくだけかと思い、友人の算数専門の先生に聞きました。最近、塾に入ってくる生徒たちの多くが、学校で習う基本的なことが全く出来ていないと嘆いていました。学校で習うべきところがスッポリ抜けているということでした。やっぱり、と思いました。過去問を解くことも大事です。でも、もう一度基本的なことが出来ているのか、いないのか。これは、四科共にです。もう一度確認して、空白状態になっているところを埋めることをお勧めします。

 

#コロナ禍  #学校の勉強  #基本的な知識  #基礎の強化

洋館の人達

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霊峰富士

こうへき、です。

 

 仕事が立て込んでいました。久しぶりに投稿します。今回は、竹西寛子さんの「洋館の人達」が出題されたK中学の入試問題を見てみたいと思います。この作品を選んだ理由ですが、竹西文学について改めて考えてみたくなったからです。彼女の作品には、いつもですが考えさせられる内容が多いです。

 この作品も考えさせられます。彼女の作品には、戦争の悲哀さに直面しながらも人としての実直な生き方が感じられます。重苦しい世界において、透明感がある生きざまを描いている作品が少なくないとでもいうのでしょうか。ぼくの心に作品の世界観がねじこまれる感じがします。

 

【あらすじ】

 小学校に通う三人の男の子たちが電車に乗っています。一人のてるよしという男の子が急に万葉集長歌を次のようにそらんじます。

 

 あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくたふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさげみれば わたるひの かげもかくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむふじのたかねは

 

 そして、その後、百人一首の「たごのうらゆ」を歌います。てるよしは言います。これは、中学に入ったら誰でも習う「万葉集」の長歌だ。なぜこの歌を覚えたかというと、父が戦地に発つ前に、この長歌を筆で書き置いて、毎朝父親に挨拶するつもりでこれを読み習うように。意味は分からなくてもいい。ただ毎日読むことだと言い残した。その通り繰り返し読んでいるうちに覚えてしまったという。

 主人公のひさしは、てるよしがこのように父親とつながっていることに驚きます。もう一人の男の子のじゅんすけは、いくらおやじさんの言いつけだからといっても、意味の分からないことを覚えるのはごめんだとてるよしを見下します。

 ひさしの家によく二人は遊びに来ます。ある日、ひさしの母親が部屋で三人が模型を組み立てているところにミカンを持っていきます。母親に向かっててるよしは言います。ひさしくんはかわいそうだ。学校でいい成績ばかりとっていたら、下から上がってゆく楽しみがないでしょ。ぼくなんか、全部の学科に夢があるもの、と。母親は、いつでも人の下に自分を置いて、それでいいとしているてるよしの態度に好感を持っていました。てるよしは、嬉しいことも腹立たしいことも同じ調子で言うので人に伝わりにくいところがあるとひさしは同情します。

 でも、それにしても長歌を暗唱していることはすごいと思います。ひさしも長歌の意味は分からないが、規則正しい言葉の快い調子をからだ全体で感じることは出来ました。ひさしは、一度聞いて覚えられたところだけを心に繰り返しながら、そうか、中学とはこういう歌を教わるところなのかと万葉集」の彼方の闇に向かって奮い立つ自分を制しかねます。中学の受験が急に近づいてきたような気がしました。

 

【問題】

「『万葉集』の彼方の闇に向かって奮い立つ自分を制しかねた」とは、どのような意味か具体的に説明しなさい。

 

【解説】

 上記に挙げた問題はK中学にはなくて、ぼくが勝手に作問しました。さて、てるよし君が詠んだ万葉集についてです。ぼくには万葉集なんてよく分かりませんので、まず、ネットで調べてみました。「万葉集」の解説サイトには、この歌は山部赤人(やまのべのあかひと)が富士山を眺めて詠んだ長歌で神の山、富士山を讃えることでその大きなご加護にあずかろうとした旅の無事を祈る呪術的な歌だということです。戦争に出征した父親が子どもに託した歌としては、うなずけるものがあります。霊峰富士の霊力を借りて戦争を無事に乗り切りたいという思いが父親にあったのと、男の子に家を守ってほしいのと、上の学校に入学して勉強をしてほしいという思いがあったのだろうと思います。昔も、今も、親の考えがそう変わるものではないと思います。万葉集には、昔の人々の思いが満載されているのでしょう。お経ではありませんが、昔の人々の思いを詠むことでそのご加護を賜ろうということでしょうか。

 さて、ひさしの考えを改めて考えてみましょう。言葉の意味は分かりませんが、万葉集長歌を初めて耳にすることで、そこに何らかの深い意味があることを身体で感じます。それが、「万葉集」の彼方の闇に向かってという表現になるのだろうと思います。中学に入ってその「万葉集」を深く勉強することが出来るのは、知識欲が旺盛なひさしには奮い立つほど気が高ぶったことでしょう。

 

【解答例】

万葉集」に関して今は全く分からないが、中学に入って本格的にいろいろと勉強出来ることは極めて魅力的なことであり、そのことを想像すると抑えきれないほど気持ちが高ぶったという意味。

 

竹西寛子  #万葉集  #山部赤人  #霊峰富士

中学受験生にとっての9月以降とは

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受験スケジュール

こうへき、です。

 

 新型コロナウィルスが一向に終息しません。とはいえ、2022年の中学受験は少しずつ近づいてきています。夏期講習も終盤を迎えています。受験生たちが健康のままで試験を迎えてくれることを祈るばかりです。今回は、受験生たちが迎える9月以降の流れについて考えてみたいと思います。

 5年生から受験勉強を始め、一週間ごとに新しい単元をこなしてきました。6年生の夏期講習は、どこの中学受験塾も総復習の形をとります。でも、総復習が出来ていない受験生も少なくないことでしょう。そういう中で志望校の出題パターンに慣れていかなければなりません。

 では、9月以降のパターンについて説明します。東京・神奈川は、2月から受験が始まりますので入試まで5か月になります。それ以外は1月から受験が始まりますので、さらに短い期間になります。端的に言ってしまえば、それまでに志望校の出題パターンをつかんで苦手分野を克服し、およそ70%解ける力をつけなければなりません。言い方を換えますと30%解けなくても良いということになります。イメージとしては、基礎レベルから応用の中程度のレベルまでの力を付ければ良いということになります。もちろん上位校を受ける場合には、難解レベルまでの力を付けねばなりません。

 上位校を受ける受験生は、ここで落とし穴に落ちることがありますので気をつけなければなりません。どういうことかと申しますと、難解レベルの問題を解くことばかりに気をとらわれ、基礎分野を疎かにしている受験生をよく見かけるからです。大げさに聞こえるかもしれませんが、これまでのぼくの指導経験上、上位校を受ける受験生の半分以上がこのパターンにはまります。特に算数や理科の物理・化学分野の勉強をしている場合にその傾向が見られます。難しい問題は解けるものの、基礎的な問題を軽視しているために点数が取れず、ご家庭で焦り、受験生がパニックになるわけです。ほとんどの学校に当てはまりますが、基礎問題を疎かにしていたら合格はムリです。

 これから志望校判定テストが始まります。判定テストによって点数が取れたり、取れなかったりします。その理由は、回数によって出題される範囲が異なるからです。点数が取れずに落ち込む受験生、保護者の方がいますが、結果に一喜一憂するのではなく、出来なかった単元を克服するために判定テストを利用するべきであって、入試ではないので点数が低くても気にする必要はありません。それに、難解な問題ばかりにこだわるのではなく、出来なかった問題の傾向にこだわるべきです。先ほども言いましたように難解な算数の問題が解けているのに基礎問題が間違っているという場合があります。計算ミスなのか、それとも、計算は合っているのに答えを写し間違えているのか。国語でいうならば、記述問題は出来ているのに、選択肢問題がボロボロという子もいます。漢字・語句の問題が出来ていない子もいます。子どもたちの性格に個性がありますが、解き方にも個性があります。本人がその個性を見極めることが出来れば一番良いのですが基本的にはムリですので、保護者の方が見極めてあげることが大事です。

 

【結論】

①基礎力を徹底的につける勉強方法にしなければならない。

②志望校の出題パターンをつかんで攻略しなければならない。

③難解な問題ばかり解いていても総合的に点が取れなければ受からない。

④志望校判定テストは、苦手分野を見極める格好の材料だ。

⑤子どもの苦手分野を見極めるのは、本人と保護者が一番。

 

国語の中学入試問題は進化している?

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テキストの山

こうへき、です。

 

 最近、教え子たちといろいろな国語の問題を解いています。以前と異なる問題を見かけます。今回は、その傾向について話してみたいと思います。もちろんその原因は、大学の入試改革に関連していることはいうまでもありませんが。

 公立の中高一貫校の入試問題には、10年以上前から国語と社会や理科を融合したような問題が出題されていました。私立中では、一部の学校を除いてはまだあまり見られませんでしたが、最近では、いろいろな私立中学校に出題されるようになっています。

 では、どんな問題か。10年以上前ですが、神奈川県の男子私立中Aに出題された問題で考えてみましょう。「社会的弱者、高齢者・乳幼児・身体的精神的障がい者に対して我々はイライラを募らせていませんか」という文言が論説文に書かれています。それに対して「あなたの経験や人から聞いたことに基づいて自分の意見を述べなさい」というような問題でした。

 こんな問題に対して子どもたちは戸惑います。答えのない問題に対して免疫がないのが現実です。大手塾のテキストにこのような問題は基本的にありません。公立の中高一貫校では、先にも述べましたが以前から出題されていますので、中高一貫校合格を目指す受験生を集めた塾では指導するでしょう。でも、一般の塾ではあまり指導しません。

 では、どのように指導するべきか。まず、筆者の説明だけでなく、自分たちがどう考えているかを再確認します。これは、答えのない問題に限らず、一般のことについても自分たちの身の回りのことやテレビ、新聞のニュースなどで筆者の主張が当てはまるか考えるクセをつけてねと言います。

 子どもたちに質問します。自転車で走っているときにお年寄りが、歩道をふさぐように杖で歩いていたら、どんなふうに思うでしょうか。若いお母さんが、小さい子どもに切符を持たせて改札口でモタモタシしてたらどう思いますか。いつも載っている電車に乗り遅れそうになって、杖をつきながら歩いている人が改札口で戸惑っていたらどう思いますか。学校に遅刻しそうで、エスカレーターの右側(関東の場合)を早く歩いて登ったり、降りたりしたいのにそこに年配者がいて、急ぐことができない場合はどう思いますか、などと聞きます。

 当たり前ですが、イライラしますね。それが真実の心の揺れ動きなのです。正直な気持ちです。都心に住んでいると、そういう経験をするのが一般的です。でも、後から考えますと、精神的にゆとりがなかったことに気づきます。もう少し早く家を出ていれば、このような場面に出くわしても、慌てることはありません。そう書けばいいのです。という話をします。

 子どもたちは言います。そんなことを書いていいの?そんなことを書いて点数が下がることはないのか?などといいます。社会的弱者に対して悪く思うことは、当たり前ですが、いけないことです。でも、自分が慌てているときは、悪く考えがちです。では、そのように思わないようにするためには、どうすればいいのでしょうか。と子どもたちに考えさせます。早く家を出ればいいという意見になります。つまり、心にゆとりがなくなっているということですよね。では、ゆとりを持つように行動すれば良いということになりますよね。ということになるわけです。

 結局、子どもたちは自分で考えて説明できるようになります。当たり前のことでも、自分で考えて、自分で説明してみなければ分からないのでしょうか。慣れてくれば書けるようになります。子どもたちの柔軟な心で考えていけばいいのでしょう。中学校の先生方も、子どもたちの柔軟な想像力を求めているのですから。

 

#答えのない問題  #自分で考える柔軟性   #社会的弱者への対応

鼓くらべ

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お城

こうへき、です。

 

今回は、山本周五郎の「鼓くらべ」が出題されたS学園の問題を取り上げます。あまりにも有名な物語ですが、子どもたちが時代小説に出会ったときにどう対処するのだろうということも合わせて考えてみたいと思って選びました。子どもたちにもいつも説明していますが、歴史小説と時代小説は異なることを説明します。子どもたちには、こんな説明をします。歴史小説は、完全なノンフィクションではないけれど史実に基づいて書かれたものであり、有名な作家としては吉村昭吉川英治が挙げられます。時代小説は完全なフィクションで江戸時代が多いですが、山本周五郎藤沢周平あたりが有名でしょうか。時代は異なるけれど人間としての感情は大きく異なる訳ではないから時代や国に関わらず読み進めるようにいいます。もちろん、アンネフランクのように戦争が絡んでくるような時代の場合には、どのような歴史が絡んでいるのかよく時代設定を考えなければならないとは説明しますが。

【あらすじ】

 正月に金沢城で行なわれる鼓くらべ(鼓の腕を比べる大会)にお留伊とお宇多が参加します。城主の前田侯の前で鼓の腕を競い合います。お留伊は、次々に披露される鼓の音に自分が恐れるほどの腕を持った人物がいないことに自信を持ち、城主から賞を受けることを想像して、その誇らしさと名誉のかがやかしさに身をふるわせるのでした。お留伊とお宇多の番が来ました。お宇多の顔は青ざめ、くちびるは引きつるように片方へゆがんでいました。その姿は、勝とうとする心をそのまま絵にしたような激しい執念の相でした。そんな様子を見ていると、お留伊はある人の顔を思い浮べます。いつも左手をふところに入れた旅絵師の姿でした。その人は、観世市之丞様であることに気づきます。彼は、鼓くらべに勝った後で自分の利き腕を折り、行方をくらましたのです。彼はお留伊に言います。音楽はもっと美しいものでございます。人と優劣を競うことなどおやめなさいまし。音楽は人の世で最も美しいものでございます。藩主の前で弾いていたお留伊の鼓の手が止まります。鼓を下してじっと目をつむります。老人の顔が笑いかけてくれるように思い、お留伊は今までに感じたことのないような新しい喜びが胸にあふれます。早く帰ってあの方に鼓を打ってあげようと思います。舞台から戻ると、師匠は取り乱しながら彼女をなじります。お留伊は打ち間違えたと言います。師匠はそれを否定しますが、彼女は頑として打ち間違えたからやめたのですと笑顔でいいます。彼女は老人が待つ旅館に急ぎます。ところが、老人は亡くなっていました。でも、老人の安らかな笑顔は、ようなさいました、あなたのお手並みを聞かせて下さいと言っているようでした。お留伊のほおに温かいものがしたたります。それから長い間袂で顔をおおって声をしのばせて泣きます。今日まで自分がどんなにみにくい心を持っていたか、どんなに思い上がっていたか、たしなみのない娘であったのかと悔います。そして、お留伊は今までのようにではなく、生まれ変わった気持ちで打ちますと言います。今はもう観世市之丞かどうか分かりませんが、この人こそ彼女にとって師匠でありました。そして暗がりで鼓を打ちます。

【問題】

お留伊は、鼓くらべの途中で鼓をやめて師匠に打ち間違えたと言いますが、一方の師匠は打ち間違えてはおらず上手に出来たと言いますが、それぞれどのような意味で言っているのか説明しなさい。

【解説】

観世市之丞が、お留伊に伝えた言葉を思い出している箇所と、その後の彼女の行動パターンを追ってみると分かります。音楽はもっと美しいものでございます。人と優劣を競うことなどおやめなさいまし。音楽は人の世で最も美しいものでございます。という言葉と、亡くなった老人の前で今日まで自分がどんなにみにくい心を持っていたか、どんなに思い上がっていたか、たしなみのない娘であったのかと悔います。それに比べて師匠は勝つことにこだわっていますので、そこに違いが見られます。

【解答例】

お留伊は、音楽で優劣を競い合い相手を打ち負かすことに喜びを抱いていたこれまでのあり方を打ち間違えたといっているが、師匠は、鼓の打ち方が技術的に間違っている訳ではないと考えていることの違い。

 

#鼓くらべ  #美しい音楽  #みにくい心  #おごり