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勉強

漢字の書き取りについて

 

家庭教師のタツジン28号です。

 

今回は、漢字の書き取りについて説明します。なぜ、このようなことを説明するのかというと、塾や家庭教師先でムダと言っては失礼ですが、時間の使い方が間違っているのではないかと思える例を見かけるからです。

 

まず、低学年に見られる例です。漢字の書き取りは、塾や家庭教師の指導時間にはやりません。指導時間のときに多少書き順などで説明することはありますが、基本的には家庭学習でやるべきことです。毎週、新しい漢字を学習するわけですから、知らない漢字がほとんどです。基本的なスタイルとしては、解答を見て写すように言います。

ただ、答えを丸写しするのではなく、文脈を確認してから写すように言います。ノートに書き込む場合も、3回程度書いて覚えるくらいにして下さいと言います。各漢字をノートに一行ずつ書くどころか、漢字だけでなく丁寧に辞書で意味まで調べてノートに写して書いてくる生徒がいます。エライねと言いたいところですが、辞書の内容を写しているだけの子が多いです。辞書の意味を書くことは悪いわけではありません。ただ、毎週、膨大な知識を詰め込まなければならず、優先順位的な意味で考えますと、かなり効率が悪いです。たくさんの文章を読みこなすうちに文脈で理解し、難解な意味だけ調べて下さいとお願いします。

また、大学入試のように英単語を何千字覚えなければならない、というほど中学受験で漢字を覚えなければならないわけではありません。熟語は、一つの漢字の組み合わせです。ですから、たくさんあるように見えて実はそれほど多くありません。子どもたちは覚えるのも早いですが、忘れるのも早いです。ですから繰り返し書かせることで身体に覚え込ませるつもりで書いてもらうのが一番です。

練習した後、テスト形式で覚えるのも一つの方法です。そこまではいいのですが、ご家庭によっては、お母さんが〇つけをして漢字まで書いてしまう場合があります。それでは意味がありません。どの漢字を覚えて、どの漢字が分からないのか。自分が納得して覚えていかなければなりません。漢字練習は、同時に勉強のパターンを学ぶ機会だとぼくは思っています。

少し説明が長くなります。テストで漢字を間違えて気にしない子がいます。そのとき、ぼくは毎回言います。間違えた漢字を今覚えなくて、いつ覚えるの、と。これは漢字練習だけに限りません。間違えた問題を気にしないといつまでも伸びません。繰り返し同じことを言いますが、子どもたちはいろいろなことが未経験です。勉強方法が分からないのだと。だから、間違えたことに対して、もっとこだわりをもちなさいと説明します。分かったらなんでもないことですが、忍耐は必要です。間違えたことをすぐ確認して短時間で仕上げてしまう生徒は勉強時間が短くなります。極端な例ですが、O蔭に受かった生徒は、自分がどのように

勉強すれば良いか、すべて理解していました。天才肌ですね。

高学年でも、漢字練習ばかりする生徒がいます。漢字練習する時間も勉強時間ですが、国語でいうなら読解力を身に付けなければなりません。昔に比べて中学入試で語句が出題される頻度が減っています。古い過去問を見れば一目瞭然です。10年をさかのぼって変わらない学校は少ないです。男女の御三家レベルくらいでしょうか。今は、テーマ性のある物語の長文が出てきます。だから物語文でも、説明文でも、とにかく文章を繰り返し読んで読解力をつけなければなりません。

 

結論

①語句にムダな時間を費やしてはいけない。必要最低限に抑えるべきである。

②漢字練習は、勉強のスタイルを学習する入り口である。

③国語は、とにかく読解力を養うために使わなければならない。繰り返し文章を読むべし。

 #中学受験 #読解力 #語句の勉強の効率化

男子御三家の国語の問題にチャレンジ

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青空

家庭教師のタツジン28号です。

 

今回はまた、K成中学の過去問について説明します。榊邦彦氏の小説「約束」が出題された過去問について触れていきます。なぜ、この過去問を取り上げたのかというと、作品も面白いのですが、この作家は母校であるK成中で教鞭を執られているということにも興味を持ちました。

 

 まず、物語の解説をします。小学校6年生の少年が主人公です。小学校の校庭で後輩たちとサッカーに興じていると、中学生たちがやってきて同じようにサッカーを始めます。次第に中学生たちが我が物顔でプレーするようになり、小学生たちを追い出そうとします。少年は後輩たちの手前、勇気を奮い起こして半分ずつ使おうと相談するべきところを何も言えません。後輩たちが寂しそうに見てくる中、少年は勇気が出せず、終わろうと言ってしまいます。仕事の帰りが遅い両親に代わって祖母が夕飯の相手です。元気のない少年の様子に気づいた祖母は、その理由を尋ねます。少年は昼間の出来事を話します。祖母は、それは愚痴か、相談かと尋ねます。返答に困っていると、祖母は自分の弱いところに気づけたと少年をホメます。祖母は、それを「傷つける力」と呼び、使い損ねた勇気を貯金するように勧めます。「勇気の貯金」です。使い損ねた勇気を貯金し、もっと大切な場面で使うようにアドバイスします。また祖母は、この「勇気の貯金」は使っても減らない魔法の貯金箱だと少年を励まします。少年は、「勇気の貯金」貯めたり、使ったりしながら成長していきます。

 

 さて、問題です。今回も紙幅の都合上、一問に絞ります。問題は「祖母の少年に対する言葉や態度からは、人間やその行いについてどのような考えが伺えるか説明せよ」というものです。

 

【解説】

 難問です。大人でも考えさせられる問題です。子どもたちは、物事を抽象的に考えるこが苦手です。慣れていないからです。でも、問題に向き合わざるを得ません。「祖母の言葉や態度」から「人間やその行いについてどのような考えが伺えるか」という問いですから、素直に祖母の少年への対応を考えてみるのが一番です。祖母の問いに少年が答えられずにいると「自分の弱さに気づけたことはエライ」と諭します。そして、自分の弱さの裏返しである「勇気」を貯めて、もっと重要な場面で使うことをアドバイスします。

 ところで、勇気について言葉の意味を掘り下げて考える必要があります。「勇気」とは何でしょうか。辞書で調べます。普通の人が、恐怖、不安、躊躇、恥ずかしいなどと感じることを恐れずに向かっていく積極的で勇ましい強い心ということになります。

 少年は、中学生に向かって自分たちの主張をせずに逃げ帰ります。辞書の意味で考えると恐怖を克服して中学生に向かっていく強い心がなかったということになります。そんな少年を祖母はほめます。ここで祖母がほめる勇気とは何でしょうか。中学生に言おうと思っていた勇気もあります。でも、祖母が褒めたのは、自分の弱さに気づいたこと、それを祖母に告白したことも勇気なのでしょう。自分の名誉が傷つけられることを恐れて、ウソをついたり、ごまかしたりすることは、大人でも日常的にあることです。多分。少年は、中学生に主張する勇気はありませんでしたが、祖母に自分の恥部をきちんと伝えられたことは勇気があったということです。

 これらのことを子どもたちに説明するのは難しいです。でも、今すぐに分からなくてもよいとぼくは思っています。あきらめずにこの話を通じて読んで考えてくれただけでも価値はあります。次第に子どもたちの心は成長していきます。分かる、分からないにこだわらず、どんどん子どもたちの心に良い作品を読ませ考えさせて成長してもらえば良いと思います。

 

【解答例】

 自分自身の言動を冷静に振り返り、その中にある自分の弱さに気づくことが出来るのは大事なことである。そのことに気づくことが出来れば、他人を気遣う優しさも生まれるという考え方。

 

結論

①K成中の先生が、自校の入試問題の題材を提供している場合もある。

②今すぐに分からなくても、子どもたちに大切な考えは伝え続けたい。

③良い作品を通じて考えさせることで、子どもたちの心を広げることができる。

 

ゴールデンウィークの過ごし方-最終日

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スサノオノミコト

家庭教師のタツジン28号です。

 

今回は、最終日ということでもありますのでどの年度の問題を選ぶか悩みました。結論としましては、いい作品が多いのでもう少しK成中の問題を考えてみたいという優柔不断な結末になりました。

 

 で、今回は、高見順の作品「わが胸の底には」を選びました。その理由は、前々回に説明した下村湖人の「次郎物語」の作品と同じような世界観を持っている小説が出題されているからです。この話も古い大正時代を時代背景にした作品ですが、物語の底に流れている思想は同じです。つまり、時代や国境を超えて人々の精神に宿る「謙虚な心と正義」ということになります。

 

 さて、作品の概略を説明します。中学生に上がった「私」が主人公です。中学生はあだ名をつけたがるようで、中老の体操の先生に対して「豚(とん)ちゃん」というあだ名をつけます。小柄で太った肉体から命名されました。この先生のどちらかの足の指先がないという噂がありました。いつでも白足袋をはいていました。それを確かめようという者が現れます。剣道の授業の時間、その者は剣道の練習でわざと豚ちゃんにぶつかり足で確かめます。その後、彼は同級生に先生の足先がないことを得意満面に話して回ります。そのとき、正義感の強い同級生がこの悪戯者に練習を無理強いします。使い手の少年は悪戯者をコテンパンにやっつけるのですが、豚ちゃんは「道場で喧嘩をしてはいけない。参ったという者を叩いたりしてはいけない。卑怯というものだ」と諭します。先生のために懲らしめた生徒は、「先生、こいつは」といって泣き声になっていきます。

 

 問題ですが、「泣き声になっていた」とありますが、先生に叱られた生徒のこの時の気持ちを想像して答えなさい、というものです。

 

【解説】

大人ならば普通に想像出来ます。それを子どもたちに想像させることは容易ではありません。先生のためにかたきを取ったということは、大体の子どもたちが想像できることでしょう。でも、なぜ泣かなければならないのかということを考えることは難しいです。義憤に駆られた心境から涙に結び付けることは難しいです。

まず、泣くことの意味を考えさせます。どんなときに泣くのか。悲しい、嬉しい、感動するなどいろいろ出てきます。いずれにしろ感情が高ぶったときに涙が出てくることに気づかせます。言い換えたら興奮したときとも言えます。ここでは、先生のために自分が悪戯者をやっつけたわけです。褒められこそすれ、卑怯者と言われることに納得がいきません。まして、先生に卑怯呼ばわりされたら正義感の強い子ですから、それはないでしょうと訴えたくなるのではないでしょうか。また、なぜ悪戯者を懲らしめた理由を説明するとなると先生の足の指先のことにも触れなければならず、言うことが出来ません。正義感の強い若者の心に様々な思いが錯綜として感情が高ぶったのでしょう。

今は、世の中が忙しくなって他人のことを考える余裕がなくなっています。前に書いたことと同じかもしれませんが、こんな時代だからこそ、この物語の底に流れるような道徳心や正義感について問われているのでしょうか。憶測の域を出ませんのでこれくらいにします。

 

【解答例】

先生を貶めるような行動をする卑怯な同級生を懲らしめたのに、反対に先生から卑怯者呼ばわりされたことが理不尽に感じられ言い訳をしたいが、そうなると先生の足のことにも触れることになるので言えず、何とも悔しくもどかしい気持ち。

 

結論

①K成中の問題文には、時空を超えて普遍性を考えさせる問題が出ている。

②時空を超えた普遍性とは、謙虚な心と正義の心につながる。

③このような時代だからこそ、武士道の精神が問われているのでしょうか?

ゴールデンウィークの過ごし方-9日目

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勉強する男の子

家庭教師のタツジン28号です。

 

さて、今回も引き続きK成中の過去問を取り上げたいと思います。今回は、内田樹の「もしも歴史が」が出題された年度の過去問を取り上げてみたいと思います。それは、内田樹の文章が中学入試によく出題されることと鋭い指摘をしている内容があるからです。いつも考えさせられることが多いです。

 

 この年も教え子が1名K成中に合格しました。やはり強者でした。合格のお礼ということでお宅に呼ばれました。目がキラキラしていたことが印象に残っています。子どもたちの中には目ヂカラが強い子がいますが、この子もそんな一人でした。この子の勉強量は、大人が見てもすごいと思いました。ぼくは、いつも思います。家庭教師として子どもたちを教える機会に恵まれますが、ぼくが教えることなんて確認事項くらいなんあろうなぁ、と。子どもたちの持つ素晴らしい才能に触れることができる幸せなんでしょうか。

 

 この子にK成中に入学したら何をするの、と聞いたら、「ハイ、鉄〇会に入塾します」という答えでした。かの日本一有名な塾です。これだけ勉強してきたのだから、しばらく息抜きして何かのスポーツでもやるのかと思って聞いたら、そのまま勉強を続けるそうです。これだけ勉強が分かってくると面白いのでしょうか。凡人のぼくには想像もつきません。将来、何をやりたいのか聞いたら、新聞記者になりたいそうで、そのためT大に入りたいそうです。

 

 また前置きが長くなりました。内田樹の「もしも歴史が」の文章の概略を説明します。「歴史に『もしも』はない」とよく言われるが、その理由について考えることは、知性の訓練として大事なのではないかという語り出しで始まります。歴史の勉強をすると因果関係に基づいて整然と配列されているように説明されるが、それは違うのではないか。歴史を事前に予見できた者はなく、それは未来についてもいえるだろう。つまり、そのいずれにしても知性の使い方は同じだ。しかし、歴史に「もしも」を導入することは、単にSF的想像力を暴走させることではなく、一人の人間が世界の運行にどれほど関与することができるかということについて考えることだ。私たち一人ひとりのごくささいな選択が、実は重大な社会的変化を引き起こす引き金となり、未来の社会のあり方に決定的な影響を及ぼすかもしれず、その可能性について深く考えることだ。もしかすると、ほかならぬ自分が起点となって歴史は誰も予測できなかったような劇的な転換を遂げるかもしれない、ということです。

 

 さて、問題にいきましょう。歴史について、「あること」が起きて「そうではないこと」は起きなかったのか。その理由について考えるのは、「なかなかに大切な知性の訓練ではないかと私は思っています」とありますが、筆者がそう考える理由を本文全体を踏まえて100字以内で説明しなさい、という問題を考えてみたいと思います。

 

【解説】

本文全体を踏まえてというわけですから、当たり前ですが、本文全体の内容から「歴史から『そうではなかったこと』を考えることの大切さ」を述べている部分を見つけていきます。

問題の傍線部の後に「過去の『起こってもよかったのに』起こらなかったこと」について想像するときに使う脳の部位は、未来の「起こるかもしれないこと」を想像するときに使う部位とたぶん同じ場所のような気がするから、とあります。つまり、筆者は「未来の『起こるかもしれないこと』を想像すること」と結び、そこに知性の大切さを感じ取っているのでしょう。そのためには、筆者が未来を想像することの大切さを説明している箇所に着目します。

「一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるかについて考えることです」、「私たちひとりひとりのごく些細な選択が、実は重大な社会的変化を引き起こす引き金となり、未来の社会のあり方に決定的な影響を及ぼすかもしれない。その可能性にについて深く考えることです。もしかするとほかならぬこの自分が起点になって歴史は誰も予測できなかったような劇的な転換を遂げるかもしれない」などの筆者の表現から説明してみます。このように筆者の説明を抜粋すると、「なかなかにたいせつな知性の訓練」とは、個人的にも大切であるが、現代社会に生きるわれわれにとっても大切なことだと筆者は述べているのでしょう。

 

【解答例】

歴史において「あること」が起きなかったことを考えることは、未来を想像することと同等であり、それは個人のみならず人類にとって重要な社会的変化を引き起こす要因を秘めている可能性が潜んでいるから。

 

どうでしょうか。同じことを毎回言いますが、どこかに模範解答があるからと安心するのでなく、自分で考えて答えを求める努力を惜しまないことが大事です。チャレンジしてみて下さい。

 

結論

内田樹の論説文は鋭く、考えさせられるものが多い。

②強者たちは目ヂカラのある子が少なくない。

③模範解答は一つの解答例でしかなく、解答は自分で生み出すものである。

ゴールデンウィークの過ごし方-7日目

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かぶと

家庭教師のタツジン28号です。

 

今回は、K成中学の問題を解説していきます。

 

これまで、ぼくが教えてきてK成中学に合格してきた生徒は強者ぞろいでした。読書量も半端でない子が少なくありません。例えばこんなでした。クリスマスの時のことです。プレゼント何をもらったのと聞いた時、嬉しそうに柳田国男の「遠野物語」と答えたことは今でも忘れません。前の話ですが、当然、子どもたちの間でゲームが流行っていました。小学校6年生の男の子が、「遠野物語」をクリスマスプレゼントと思える想像力の豊かさ、知的好奇心のレベルの高さは、普通の子どもの域を超えています。

 

日本を代表する中学ですが、中学がすごいというより、すごい子どもたちが集まるからすごいのだろうなと思わされることが何度もありました。子どもたちから教わることは、枚挙にいとまがありません。そんな子どもたちに出会えたことは幸せです。

 

さて、そんな子どもたちを選抜しなければならないのだから、国語の問題も重厚です。残りの3日間はK成中学の問題に焦点を絞ってみましょう。受験するしないに関わらず問題に触れてみることは良いのではないでしょうか。

 

今回は、下村湖人の「次郎物語」が出題されたときのK成中学の過去問を考えてみたいと思います。はじめにこのような解説があります。要約すると「80年余り前の話で学校制度が今と異なるが登場人物の『次郎』は君たちとほぼ同年代の少年である」つまり、時代は異なるが同年齢の少年として、この話に書かれている内容を想像しなさいということです。K成中学の先生方は、時代は異なれどその底に流れる精神は一緒です。それを読み解きなさいということです。

 

さて、本文の内容です。詳しく書きたいのですが紙幅の都合上簡略化します。場面は、次郎の中学入学式のときから始まります。詳しくは、「次郎物語」の中学の入学式の場面から読んで下さい。次郎が入学式で講堂に入ります。そこに大きな額が掲げてあります。1,武士道においておくれとり申すまじきこと、2,主君の御用にたつべきこと、3,親に孝行つかまつるべきこと、4,大慈悲をおこし人のためになること、次郎はこれらの訓示について考えます。入学式の翌日は始業式です。次郎が講堂に入ると強面の年長者たちが大勢いて気味の悪い目つきをして新入生たちをねめ回します。でも、これは対面式でした。校長は、新入生に対しては敬意を持って接するように言い、上級生に対しては、どんなわずかな力でも不正に使ってはいけない。不正なことというのは慈悲心のない行いであり、慈悲心があってはじめて武士道があるという。ところが、その後、上級生が新入生を雨天体操場に呼び出し難癖をつける。次郎は次第に苛立ち、上級生を睨みつける。それが原因で上級生に呼び出されやり返すが、大勢の上級生にやられてしまう。自分の制帽が踏みにじられたことに怒りを覚えて雨天体操場を飛び出してしまう。学校を飛び出しながら、その日の出来ごとを振り返る。

 

さて、問題です。「一種の武者ぶるいのようなものを総身に感ずるのだった」とありますが、この時の次郎はどのような気持ちだったのでしょうか、というものです。この前に、上級生を怖いとはもう思わなくなっていた。それどころか、彼らの前に青い顔をして並んでいた新入生たちのことを思うと、とあります。

 

【考え方】

問題を考える上で一部分から考えるのではなく、全体的な視野を持たなければならないことは、いつも子どもたちに説明します。K成中学の問題もその鉄則に従って考えます。次郎が講堂に入ると額に書いてある言葉に着目します。その後、校長先生の訓辞、上級生に生意気だと虐められる一方で新入生たちは怯えている場面までの流れです。

今で言えば、虐めはいけない、体罰はいけないと言います。でも、どうしていけないのかということはあまり説明されません。でも、この「次郎物語」にはそのことが説明されておりました。つまり、校長先生の言葉を借りると、「どのような力も、不正に使ってはいけない。不正な行いとは慈悲心のない心だ」ということです。ここでいう「どのような力」というのは「相手より上回る力」ということになると思います。余談になりますが、現代の社会で起こるニュースを聞いていると、耳が痛い言葉だと思います。だから、K成中学で出題されたのでしょうか。

 

【解答例】

これから学校生活が始まるが、慈悲心を持って学校生活を送るのと同時に、自分が正しいと思えば上級生の横暴にも屈せず立ち向かい正義を貫いていこうという気持ち。(解答用紙は2行程度でした)

 

結論

①日本を代表するような中学校に入学する子たちは強者ぞろいである。

②国語の入試問題の底に流れている思想は、時代を超え普遍性を持っている。

現代社会における病巣も入試問題とからめて考える必要がある、かも?

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タオル

家庭教師のタツジン28号です。

 

 今回は、男子御三家のA布中の記述問題を説明したいと思います。今回は、「重松清」の「タオル」です。「小学5年生」に収められている短編です。ネットで文章は手に入ると思いますので音読するだけでも良いと思います。

 

 祖父の死を通じて「少年」が死を実感していく過程が上手に描かれていることと、その重松作品をA布中の先生が見事に入試問題に仕上げている手法に惚れ込んだためにこの過去問を選びました。言い方を換えると、一流のシェフが、素晴らしい素材を活かして見事な料理を仕上げているようなものです。

 

さて、まず作品を簡単に説明します。地元で一番の一本釣りの漁師であった祖父が脳溢血で亡くなります。「少年」は、祖父の死を頭では理解しますが、突然のことで実感がわかず泣くことも、悲しむことも出来ません。「少年」は、祖父の葬式に来たシライさんと知り合いになります。シライさんは雑誌記者で、昔、祖父を取材したときの写真や年賀状を「少年」に見せます。それらの写真や年賀状を見たり、周囲の祖父に対する対応を感じ取ったりしながら次第に「祖父の死」を感じ取っていきます。最後の場面です。祖父がいつも頭に巻いていた「タオル」が、干してあります。二日前に祖父が干しておいたものです。この「タオル」を頭に巻き付けることで潮の匂いを嗅ぎ、そこに祖父を感じ取り熱いものがこみ上げてきます。

 

この「少年」に限ったことではありませんが、子どもたちは「死」も含めて抽象的なことを実感することに対して不慣れです。「少年」にとって身近な存在であった祖父であっても、亡くなったからといって突然のことにメンタルが対応出来ているとは思えません。変な例えですが、医学的に味覚も未発達だということを聞いたことがあります。間違っていたらゴメンなさい。いろいろな経験を通じて考え、悩みながら子どもたちの心も成長していくのではないでしょうか。

 

さて、問題にいきましょう。良問がいくつもあるのですが、紙幅の都合上、最後の問題に着目します。「少年」のお父さんが、祖父のタオルを頭に巻いてごらんと言います。「少年」は父親に言われた通り頭に巻きます。そのタオルに祖父の潮の匂いを嗅ぎ取ります。シライさんが写真を撮りますが、フラッシュを焚いたとき「少年」はその眩しさに目を細め、またたくと熱いものがまぶたからあふれ出ます。かすかな潮のにおいは、そこにもあった、で終わります。問題は、「『潮のにおい』があることに気づくということは、少年のどのような変化を表していると考えられますか。説明しなさい」というものです。

 

 さすがA布中の問題です。この小説のテーマをよく掴んでいます。作品を描いた重松氏がこの問題を見たら、自分の作品をよく読み取ってくれてありがとう。感謝します。というのではないでしょうか。

 

 では、解説していきます。ただし、ここで解説する内容は赤本の解説や解答とは異なります。どうしてこんな説明するのかと言うと、受験生が自ら学んだ手順に従って答えを導くための考えを大切にしてほしいからです。また前置きが長くなりました。

 

小説によくみられる手法を重松清も使っています。余韻を残すことです。小説はここで終ります。祖父は亡くなりましたが、その命を受け継ぐ形で少年は成長していきます。祖父の「タオル」の「潮のにおい」は、実際の匂いの意味もありますが、その匂いを嗅いだのが「少年」であることと結び付けて考えると少年の今後の生き方と結び付けて考えることが出来ます。

 

 これらをまとめると以下のような答えになります。これは一つの解答例でしかないです。

 

 解答

 祖父のタオルに漂う「潮のにおい」は、祖父の漁師としての人生そのものである。祖父は孫の「少年」と漁に出ることを楽しみにしていた。少年は、おぼろげながらも祖父と暮らしてきたことを思い出し、これから歩んでいく人生の一つの選択肢として漁師という道を漠然と考え始めているということ。

 

結論

①子どもたちは、「死」を含めた抽象的なことを実感することが不慣れだ。

②子どもたちは、いろいろな経験を通じて考え、悩みながら心が成長していく。

③物語が終わっても、登場人物たちは成長を続けていくと考えて読み取る。

ゴールデンウィークの過ごし方-6日目

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色鉛筆

家庭教師のタツジンです。

 

今回からゴールデンウィーク最終日まで御三家レベルの国語の記述問題に取り組んでみたいと思います。ご家庭でも記述問題にチャレンジしてみて下さい。S塾をはじめ、記述問題に取り組む塾は少なくないですが、それだけ中学校入試の国語は書かせる問題が多くなっているということです。受験生の表現力を試す学校が増えているということでしょう。

 

 今回は、M蔵中にチャレンジしてみます。

 

ある家庭の話です。お父さんは消防士です。お母さんが亡くなってしまいます。お父さんは消防士のため夜勤があります。そんなときは、お母さんの妹が泊りがけで手伝いに来てくれます。この妹は、亡くなったお母さんとは双子です。バツイチで子どもがいません。この家には、小学校6年生と1年生の男の子がいます。小学校6年生の男の子は、お母さんの妹が、お母さんの座を奪おうとしていると思っています。本当にお母さんの座を奪うかどうかは文脈からは読み取れません。でも、大事なのは主人公である小6の男の子が、お母さんの座を奪おうとしていると考えているということです。

 

この物語を生徒たちが読んでも初めはピンときません。他人事として読んでいるからです。主人公の立場に身をおいて考えないと良い答えが書けず、それこそ通り一遍の答えしか書けません。ぼくはいつも例を挙げながら具体的に説明します。たとえば、こんな場面があります。妹が家にやってきたときの話です。泊りがけで来ているので洗面所に携帯用の歯ブラシを置いておきます。小6の男の子がそれを見つけます。急に息が苦しくなって気持ち悪くなります。この場面を聞いても生徒たちは何も感じません。「みんな。この場面を想像して何も感じないの」「…」「では聞くよ。例えば先生の歯ブラシがみんなの家に置いてあったらどうする」そう言うと、男の子が気持ち悪がっている場面が想像出来ます。「ウゲェ、気持ち悪い。捨てる。洗面台をアルコール消毒する」など様々です。酷い生徒になると「警察に連絡する」などと言います。

そうです。記述問題で大切なのは、どれだけ主人公の立場に立って想像することが出来るかということになります。ただし、生徒によっては自分だったらそうは考えない、とか、こう考えるなどと言います。ぼくはめげずに繰り返し説明します。「君の感想を聞いているのではないよ。この文脈に沿って、主人公がどのように考えているのか問われているのです。様々な文学作品を勝手に解釈するのではなく、作者の意図に沿って正しく読み取っているかどうか問われているのです。わざと文章の途中から出題し、全体像まで想像させて記述させているのです。さらに、文脈の流れが読み取れたとしても、それを自分の言葉に変換して説明しなければなりません」と。

 

さて、一つ問題を取り上げてみます。

 

この日、妹はカレーライスを作ります。それを食べた少年は、お母さんのカレーライスの味と違うことに対してほっとして、肩から力が抜けていきます。問題は、「ほっとして肩から力が抜けていく」とあるが、このときの少年の気持ちを説明させる問題です。

 

問題の考え方は選択肢問題と同じです。何度か説明してますので、ここでは省略します。ただ、選択肢問題と異なるのは、当たり前ですが、自分の言葉で説明しなければならないということです。ですから、選択肢問題以上に全体像を把握しておかなければなりません。つまり、問題点は一か所ですが、全体の流れと絡めて考えなければならないということです。

記述問題が苦手な生徒は、全体像と絡めて考える訓練がされていないことが多いです。それに語彙を使いまわすことにも不慣れです。でも、ぼくがいつも言っているのは、喜怒哀楽のような簡単な言葉で説明するだけで構わない。高度な言葉を駆使することが出来るようになれば使えばいいと。まずは間違えることにこだわらず書きながら慣れていけばいい、と。

 

 さて、先ほどの問題の答えです。少年は、お母さんの妹が我が家を侵略しに来ると思っている。言い換えたらお母さんの居場所を奪おうとしている、と考えているということです。全体の流れです。カレーライスを作りますが、お母さんの味とは異なります。そこでほっとしているということは、お母さんの真似をしてもお母さんになることは出来ないためにほっとしている。つまり、お母さんの座を奪うことは出来ないと考えて安心しているということになります。

 

結論

①記述問題を解くときは、常に全体像を把握しておかなければならない。

②難しい表現にこだわる必要はない。慣れてきたら言い回しを工夫すれば良い。

③間違えることは全く気にしない。書きながら慣れていけば上達する。